2016年8月28日日曜日

時が止まった

2016年6月20日 最愛の息子「友理」が27歳で死んだ。


「友理の死」を知ったのは遠い海外の地だった。
エクアドル旅行最後の朝、ホテルでインターネットを繋ぎLINEを見た。
次男から「お兄ちゃんが事故で亡くなった」の文字
胸をナイフでえぐられるような痛みと共に、涙がとめどなく溢れ出た。
事態が分からないまま4時間が過ぎた。やっと電話が通じ次男と話をすると、事故ではないらしいと言う、いったい友理に何が起こったというのか、はっきりした事は何一つ分からなかった。
信じられない、信じたくない、ただ一刻も早く家に飛んで帰りたかった。
電話の向こうの次男の鳴き声に、こんな時に側にいてあげられない悔しさと悲しみと辛さと、この世に友理がいなくなったという悲しみでいっぱいだった。

フライトは23時40分 アトランタ乗換えで日本到着は22日15時10分
時間の流れはいつもの何十倍も遅く、食事は喉を通らず、じっとしているのが辛かった。
教会に行き手を合わせ思いきり泣いた。そして街や公園を当てもなく歩き回り、スーパーやお土産屋を見て周り気持ちを紛らわすことしかできなかった。

飛行機では眠れず、映画を何本も見た。しかし何を見たのか思い出せない・・・
友理が大きなドッキリを仕掛けたならいいのに、「嘘だよ~!」とひょうきんな顔で迎えてくれたらいいのに、この不幸な出来事が夢だったらいいのに、そんなことばかり願っていた。

成田空港に着くと家に帰るのが怖かった。
友理の死を受け止めたくなかった。

次男に電話し原因を聞くが、帰ってから話すと言った。それは彼の優しさだった。
駅に迎えに来てくれた妹の顔を見たとたんに、こらえていた涙が嗚咽と共に出てきた。

友理は検死され、エンバーミング処置をして肉体だけが家に帰ってきていた。
傷一つ無い綺麗な顔、両手で冷たくなった頬を包み、頭を撫で、肩をゆすって
「何で死んだの!お母さん帰って来たよ、お土産も買ってきたよ、生き返ってよ!」泣き崩れた。


死体検案書「頚椎損傷 即死 首都高速道路株式会社東京東局11階屋上から飛び降りたもの」
嘘だ、友理が自殺なんて、信じられなかった。
来月にはキャンプに行くのを楽しみにしていたのに、あんなに明るく、優しい子が何で!
何を悩んでいたの、悩みを打ち明けてくれなかったの、どうしてお母さんがいない時に、お母さんがいれば死ぬことを思い留まっていたかもしれない、貴方の悩みに気づいてあげられなくてゴメンね、後悔と無念の気持ちばかり出てきて、涙が止まらなかった。


23日夜 箱崎にある東京東局へ友理の魂を迎えに行った。
友理が命を落とした場所にはチョークで倒れた状態が書かれていた。そこに花とレッドブルを供え手を合わせた。「あの角から飛び降りたのね」私は左手を空に伸ばして友理の気持ちを分かろうと試みた。脳裏に友理が落ちてくる映像が見えた気がした。

屋上に案内してもらい、友理が飛び降りただろう屋上の角に柵を超えて立ってみた。
次男が止めたが「大丈夫、お母さんは飛び降りないから、心配なら洋服掴んでてて、そこに立てば友理の気持ちが分かるかもしれない」
その場所は、箱崎インターチェンジと大きなマンションの隙間で恐怖感が少ない微妙な高さ、飛び降りてもちゃんと着地できそうな距離感と雰囲気があった。

その後、局長、課長、部長、渉外担当課長から当日の話を聞いた。
友理は体調を崩して1週間会社を休んでいて、翌月曜日(20日)朝のミーティングの後、姿が見えなくなり、外に誰か倒れていると連絡があり、それが友理だった。というものだった。

体調を崩すほどのストレスがあり、朝のミーティングで何があったのか知ることができなかった。
同僚4人は体調を崩していて今は話できる状態ではなく話を聞くことを拒まれた。
同僚が体調を崩すほどのショックを受けたということは、ミーティングで決定的な何かがあったとしか思えない、納得できないまま帰路についた。
 

御通夜までリビングに布団を敷いて、親子三人で寝た。あまりうまく眠れなかった。
友理が着ていた服が気に入らなくて、ブルーのシャツにお着替えを頼んだ。エンバーミングの会社の女性を手伝い着がえさせた。すると左腕に黒い大きな傷跡があった。
履いていた革靴も左靴の踵から外側にキズが入り、右靴踵よりの内側が切れていた。
友理が落ちて左足から地面に叩きつけられる映像が浮かび涙が流れた。
くすんできた顔色をドウランで綺麗にしてもらった。
インディゴブルーのシャツがとても似合っている。

24日から愛犬「めんま」が食べ物を口にしなくなりお通夜の日に友理が連れて行ってしまった。
我家から二つの命の火が消えた。

私は、葬儀をするにあたって迷いがあった。友理の自殺を表に出していいものかどうか、最初は事故でと考えた。が、それは違う友理は悪くない、隠す必要などない、辛いけど真実を伝えなくては、1人でも多くの友理の友達におくってもらいたい。

28日御通夜 上司のパワハラ情報が手に入った。その人は平気な顔して式に来ていた。
宮田社長が責任を持って調査しますと約束をしてくれた。
愛する息子を自殺で亡くした母親の気持ちは分からないでしょう、息子を返して欲しいと訴えた。


平日の葬儀だったが、地元の友達、中高大学の友達、インターネットで知り合ったゲーム友達、沢山の友達に参列していただいた。
沢山友達ができるように名前に「友」の字をいれ「友理」と命名した。
名前通り沢山友達ができた。
なのに誰にも悩みを打ち明けることなく、ひとりで苦しんでいたんだね・・・・
優しく家族思いで、負けず嫌いで、強がりの友理、ひとりで解決しようと頑張ったんだね

御通夜が終わり、斎場には私と次男、私の妹と姪っ子だけになった。
23時頃、私と妹が友理の前にいると突然音楽が流れだした。
それは友理が好きな「押尾コータロー」のギターだけの曲を葬儀のために選んで作ったCDだった。
妹はびっくりしていたけれど、私は友理のいたずらだと思った。
側にいることを知らせたかったのでしょう、不思議なことは起こるものです。


29日告別式が終わり、友理は白い骨壷の中に骨だけになってしまった。
その夜、身体も心もボロボロの私は10日振りに深く眠った。

朝早く目が覚める日々、でも友理はいない目覚めた瞬間から涙が溢れる。
遺影にお線香をあげ手を合わせる。掃除洗濯し友理の部屋を少しずつ片付ける毎日
ベランダの植物の手入れ、押入れの片付け等、何かをしていなくては、心が潰れそうになる。

悲しみは波のように小さく大きく、そして時に嵐のように私を襲ってきた。
来月のファミリーキャンプ楽しみにしてたじゃない、友理が頼んだキャンプ用具がアマゾンから届いたんだよ。死ぬはずじゃなかったんだよね、あの日の朝、死に追い詰めた何かがあったんだよね、何があったの、お母さんに教えて、遺影に話しかけた。

時が戻せるなら6月4日一緒に行った榛名山トレッキングまで戻りたい。
私は「4月から移動になった部署はどうなの?」と聞いた。
友理は「上司が厳しい人なんだ、でも僕のことを買ってくれてるからだと思う」と言った。
私が「それじゃ、ストレス溜まるね」と言うと「そうなんだよね!」私に心配かけまいと明るく答えた。あの時もっと突っ込んで話すればよかった。「辛かったら会社辞めていいだよ、ほんとの気持ちを話してごらん、我慢することないんだよ、お母さんは友理のことが何より大切なんだよ」と・・・・

8年前夫が癌で他界した時、友理は大学2年生だった。
彼は何かを決めたように逞しく頼もしくなった。
奨学金で大学院へ進み首都高速株式会社に入社しりっぱな社会人になった。
入社4年目4月部署が移動になって上司からパワハラが始まったんだ。
それに全然気づけなかったことが母親として悔しくてしかたない

私は8年間で愛する人を二人も亡くした。
夫が亡くなった後、二人の息子に支えられて悲しみを乗り越えることができた。
今、大きな支えの一つが無くなってしまい、どうやって生きていけばよいのか分からなくなった。

全ての景色が色あせ、私の時が止まった。