2016年9月26日月曜日

悲しみはなお深く

息子友理が自殺して3ヶ月が過ぎた。

時とともに心が楽になると思ったが、まったく逆だった。

8月7日納骨し、仏壇に分骨壷と遺影を並べた。
相続に伴う事務的な手続き、カード停止などが殆ど終わり、訪ねてくる人もいなくなった。
ひとり家にいて、泣いてばかりいる日々

「どうして友理は死ななければならなかったの!」繰り返す心の叫び
写真の友理は何も教えてはくれない

何かをしていなくては気が違いそうになる。
そんな私を猫3匹と植物が癒してくれた。
猫と植物の世話をしている間だけ悲しみから開放された。ほんの少しの間だけれど・・・・


9月14日 首都高速株式会社が依頼した第三者弁護士(顧問弁護士以外)大江橋法律事務所山口弁護士が調査結果を報告に来た。
その結果は「パワハラの事実は無かった」だった。

そのような結果がもたらせられるのは予想はしていた。
第三者とはいえ会社よりなのだから期待できない、でも心の奥にほんの少しだけ真実を話してくれる人がいるかもと期待していた。私の甘い希望は木っ端微塵に破壊された。
目の前に突きつけられた結果は、想像以上に衝撃を受けた。

「誰も本当のことを話してはくれない、会社の圧力に真実は葬られた!」

日本社会のパワハラと会社の対応の現実を突きけられた。
平社員のパワハラによる自殺を無かったものとして消し去る会社に怒りと苛立ちと悲しみが湧き
友理のこと、さしては私の生き方まで否定された気がした。

それから数日私は寝込んだ。
日中は何もすることができず食欲も無く、見もしないテレビをつけてソファーに横になったら起き上がることができず、ただ涙が次から次へと溢れ止まらなかった。
まるで深海に沈んでいくように周りが暗くなり、心奥に痛みが広がっていった。

生きているのがイヤになった。友理のそばに逝きたいと何度も思った。
死んで友理の所へ行ってじっくり話がしたいと思った。

友理が苦しんでいたことを知ることさえできないなんて、酷すぎる
彼の苦しみに気づいてあげられなった母親の償いは、その苦しみを知ることでしかないのに
誰も真実を私に教えてくれない、気が狂いそうだった。

でも死ぬことはできない、次男をひとりぼっちにすることなんてできないから
もし次男がいなかったら、私はとうに死んでしたことでしょう
こんな辛く悲しい思いを一生背負って生きていかなければならないなんて・・・・
私はこれから先、どうやって生きていけばよいのでしょう
私は自分の行き方を見失ってしまった。


友人が心のこもった励ましのお手紙をくださいました。
その中に、このような言葉を知りましたと記してくれた文章を紹介します。

「親を亡くした人は過去を亡くし、子を亡くした人は未来を亡くし、配偶者を亡くした人は今を亡くす。」


この言葉は私の気持ちそのものを表しています。
8年前に夫を亡くし今を亡くし、今息子を亡くし未来の半分を亡くしたのです。

私は何か悪いことしたのでしょうか、何故神様は私に最悪の苦しみを与えたのでしょうか


生きていくのが辛い・・・・


でも 生きなくてはならない・・・・


2016年9月12日月曜日

気がつかなかった




友理の顔は小さい頃から夫にとても似ていた。

誰もが「お父さん似ね」と口を揃えてそう言った。

夫がたまに保育園のお迎えに行くと「友理君のお父さんですね」と夫の顔を見ただけで先生やお母さん達にに言われるくらいそっくりだった。

大人になっても、たまに会う親戚に「お父さんに良く似てるわね」と言われていた。


エンバーミング処理し家に帰って来て横たわっている友理の顔
夫にそっくりとばかり思っていたのに、眼鏡を外した顔の鼻の形が私そっくりだった。
それまで全く気がつかなかった。

中学からの親友が名古屋から駆けつけてくれ友理の顔を見て
「鼻の形があなたそっくりじゃない」と一緒に泣いてくれた。

夫似の顔とばかり思っていたのに、鼻は私似だった。
友理が死んで気がつくなんて、私は彼のどこを見てたんだろう・・・・



友理の写真を額に入れて飾った。



写真を見れば悲しくなるのに、泣いてしまうのに、飾らずにはいられなかった。

友理を近くに感じていたいから・・・・・


2016年9月7日水曜日

帰っておいで

いつ帰ってきてもいいんだよ




普段履いていた友理の靴
いつでも使えるように、玄関においている。
もう履くことがない靴、でも下駄箱に仕舞えない。


夕方、台所でご飯の支度をしていると
「ただいま」と玄関のドアを開け帰って来る気がする。
振り向いても誰もいない、涙が頬をつたう・・・

2ヵ月半が過ぎたのに
私はまだ、友理の死を受け止めることができない


帰っておいでよ 友理


2016年9月3日土曜日

使えなくなった包丁

お気に入りの鋼の包丁 





去年から、友理はキャンプを楽しむようになった。
キャンプ道具を次々に買い揃え、キャンプを楽しむための準備を進めていた。
キャンプ飯にも凝り「燻製」や「パエリア」を自宅で試作していた。

凝り性の友理

キャンプ用ナイフを購入し自分でナイフを研ぐことを覚えた。
砥石や研ぐためのグッズを買って、自分のナイフを研ぎ、私の包丁も研いでくれた。



左手で紙を持ち、右手に持った研いだ包丁でその紙を切る。
「凄いでしょう、めちゃ切れるようになったよ!」って自慢げだった。

普段の包丁の手入れにと皮砥まで自作し「これ、お母さんにあげるよ」とくれた。
まだ使い方ちゃんと聞いてないのに・・・



友理が研いでくれた包丁、使っていたら切れ味が落ちてきた。



これ以上切れなくなるのがイヤ・・・・

友理のひとつの思い出が消えるようで・・・・


2016年8月28日日曜日

時が止まった

2016年6月20日 最愛の息子「友理」が27歳で死んだ。


「友理の死」を知ったのは遠い海外の地だった。
エクアドル旅行最後の朝、ホテルでインターネットを繋ぎLINEを見た。
次男から「お兄ちゃんが事故で亡くなった」の文字
胸をナイフでえぐられるような痛みと共に、涙がとめどなく溢れ出た。
事態が分からないまま4時間が過ぎた。やっと電話が通じ次男と話をすると、事故ではないらしいと言う、いったい友理に何が起こったというのか、はっきりした事は何一つ分からなかった。
信じられない、信じたくない、ただ一刻も早く家に飛んで帰りたかった。
電話の向こうの次男の鳴き声に、こんな時に側にいてあげられない悔しさと悲しみと辛さと、この世に友理がいなくなったという悲しみでいっぱいだった。

フライトは23時40分 アトランタ乗換えで日本到着は22日15時10分
時間の流れはいつもの何十倍も遅く、食事は喉を通らず、じっとしているのが辛かった。
教会に行き手を合わせ思いきり泣いた。そして街や公園を当てもなく歩き回り、スーパーやお土産屋を見て周り気持ちを紛らわすことしかできなかった。

飛行機では眠れず、映画を何本も見た。しかし何を見たのか思い出せない・・・
友理が大きなドッキリを仕掛けたならいいのに、「嘘だよ~!」とひょうきんな顔で迎えてくれたらいいのに、この不幸な出来事が夢だったらいいのに、そんなことばかり願っていた。

成田空港に着くと家に帰るのが怖かった。
友理の死を受け止めたくなかった。

次男に電話し原因を聞くが、帰ってから話すと言った。それは彼の優しさだった。
駅に迎えに来てくれた妹の顔を見たとたんに、こらえていた涙が嗚咽と共に出てきた。

友理は検死され、エンバーミング処置をして肉体だけが家に帰ってきていた。
傷一つ無い綺麗な顔、両手で冷たくなった頬を包み、頭を撫で、肩をゆすって
「何で死んだの!お母さん帰って来たよ、お土産も買ってきたよ、生き返ってよ!」泣き崩れた。


死体検案書「頚椎損傷 即死 首都高速道路株式会社東京東局11階屋上から飛び降りたもの」
嘘だ、友理が自殺なんて、信じられなかった。
来月にはキャンプに行くのを楽しみにしていたのに、あんなに明るく、優しい子が何で!
何を悩んでいたの、悩みを打ち明けてくれなかったの、どうしてお母さんがいない時に、お母さんがいれば死ぬことを思い留まっていたかもしれない、貴方の悩みに気づいてあげられなくてゴメンね、後悔と無念の気持ちばかり出てきて、涙が止まらなかった。


23日夜 箱崎にある東京東局へ友理の魂を迎えに行った。
友理が命を落とした場所にはチョークで倒れた状態が書かれていた。そこに花とレッドブルを供え手を合わせた。「あの角から飛び降りたのね」私は左手を空に伸ばして友理の気持ちを分かろうと試みた。脳裏に友理が落ちてくる映像が見えた気がした。

屋上に案内してもらい、友理が飛び降りただろう屋上の角に柵を超えて立ってみた。
次男が止めたが「大丈夫、お母さんは飛び降りないから、心配なら洋服掴んでてて、そこに立てば友理の気持ちが分かるかもしれない」
その場所は、箱崎インターチェンジと大きなマンションの隙間で恐怖感が少ない微妙な高さ、飛び降りてもちゃんと着地できそうな距離感と雰囲気があった。

その後、局長、課長、部長、渉外担当課長から当日の話を聞いた。
友理は体調を崩して1週間会社を休んでいて、翌月曜日(20日)朝のミーティングの後、姿が見えなくなり、外に誰か倒れていると連絡があり、それが友理だった。というものだった。

体調を崩すほどのストレスがあり、朝のミーティングで何があったのか知ることができなかった。
同僚4人は体調を崩していて今は話できる状態ではなく話を聞くことを拒まれた。
同僚が体調を崩すほどのショックを受けたということは、ミーティングで決定的な何かがあったとしか思えない、納得できないまま帰路についた。
 

御通夜までリビングに布団を敷いて、親子三人で寝た。あまりうまく眠れなかった。
友理が着ていた服が気に入らなくて、ブルーのシャツにお着替えを頼んだ。エンバーミングの会社の女性を手伝い着がえさせた。すると左腕に黒い大きな傷跡があった。
履いていた革靴も左靴の踵から外側にキズが入り、右靴踵よりの内側が切れていた。
友理が落ちて左足から地面に叩きつけられる映像が浮かび涙が流れた。
くすんできた顔色をドウランで綺麗にしてもらった。
インディゴブルーのシャツがとても似合っている。

24日から愛犬「めんま」が食べ物を口にしなくなりお通夜の日に友理が連れて行ってしまった。
我家から二つの命の火が消えた。

私は、葬儀をするにあたって迷いがあった。友理の自殺を表に出していいものかどうか、最初は事故でと考えた。が、それは違う友理は悪くない、隠す必要などない、辛いけど真実を伝えなくては、1人でも多くの友理の友達におくってもらいたい。

28日御通夜 上司のパワハラ情報が手に入った。その人は平気な顔して式に来ていた。
宮田社長が責任を持って調査しますと約束をしてくれた。
愛する息子を自殺で亡くした母親の気持ちは分からないでしょう、息子を返して欲しいと訴えた。


平日の葬儀だったが、地元の友達、中高大学の友達、インターネットで知り合ったゲーム友達、沢山の友達に参列していただいた。
沢山友達ができるように名前に「友」の字をいれ「友理」と命名した。
名前通り沢山友達ができた。
なのに誰にも悩みを打ち明けることなく、ひとりで苦しんでいたんだね・・・・
優しく家族思いで、負けず嫌いで、強がりの友理、ひとりで解決しようと頑張ったんだね

御通夜が終わり、斎場には私と次男、私の妹と姪っ子だけになった。
23時頃、私と妹が友理の前にいると突然音楽が流れだした。
それは友理が好きな「押尾コータロー」のギターだけの曲を葬儀のために選んで作ったCDだった。
妹はびっくりしていたけれど、私は友理のいたずらだと思った。
側にいることを知らせたかったのでしょう、不思議なことは起こるものです。


29日告別式が終わり、友理は白い骨壷の中に骨だけになってしまった。
その夜、身体も心もボロボロの私は10日振りに深く眠った。

朝早く目が覚める日々、でも友理はいない目覚めた瞬間から涙が溢れる。
遺影にお線香をあげ手を合わせる。掃除洗濯し友理の部屋を少しずつ片付ける毎日
ベランダの植物の手入れ、押入れの片付け等、何かをしていなくては、心が潰れそうになる。

悲しみは波のように小さく大きく、そして時に嵐のように私を襲ってきた。
来月のファミリーキャンプ楽しみにしてたじゃない、友理が頼んだキャンプ用具がアマゾンから届いたんだよ。死ぬはずじゃなかったんだよね、あの日の朝、死に追い詰めた何かがあったんだよね、何があったの、お母さんに教えて、遺影に話しかけた。

時が戻せるなら6月4日一緒に行った榛名山トレッキングまで戻りたい。
私は「4月から移動になった部署はどうなの?」と聞いた。
友理は「上司が厳しい人なんだ、でも僕のことを買ってくれてるからだと思う」と言った。
私が「それじゃ、ストレス溜まるね」と言うと「そうなんだよね!」私に心配かけまいと明るく答えた。あの時もっと突っ込んで話すればよかった。「辛かったら会社辞めていいだよ、ほんとの気持ちを話してごらん、我慢することないんだよ、お母さんは友理のことが何より大切なんだよ」と・・・・

8年前夫が癌で他界した時、友理は大学2年生だった。
彼は何かを決めたように逞しく頼もしくなった。
奨学金で大学院へ進み首都高速株式会社に入社しりっぱな社会人になった。
入社4年目4月部署が移動になって上司からパワハラが始まったんだ。
それに全然気づけなかったことが母親として悔しくてしかたない

私は8年間で愛する人を二人も亡くした。
夫が亡くなった後、二人の息子に支えられて悲しみを乗り越えることができた。
今、大きな支えの一つが無くなってしまい、どうやって生きていけばよいのか分からなくなった。

全ての景色が色あせ、私の時が止まった。



2016年6月7日火曜日

命日

夫の大好物



8年前の6月7日、夫は天に召されました。
夫が最後に口にした食べ物、さくらんぼを仏壇にあげました。
元気になったら「さくらんぼ狩り」に行こうねって言ったのに・・・


お墓に参ってお話してきました。
「子供達はすっかり社会人らしくなりました。心配要りませんよ!」



今夜は思い出にひたり、夫を忍んで涙します。


2016年6月5日日曜日

榛名山 息子と縦走

ツツジのトンネル間に合った!



2016年6月4日(土) 榛名山 天目山~三ッ峰山~相馬山+榛名富士

3日息子が会社から帰ってくるなり、明日は山に行くというそぶり
NON:「一緒に行ってあげようか」 息子:「いいよ、行こう!」
5~6時間であまりきつくない山ってことで「榛名山」に決定

5:40 「らら号」に乗り込み出発、珍しく息子が運転してくれました。^^
8:40 榛名ビジターセンター駐車場に到着 


8:50 榛名湖の淵を10分程歩いて「関東ふれあいの道」へ


整備された登山路は階段が多くて疲れるわ~登山口から40分で天目山
次に目指すは写真左下「三ッ峰山」 


いったん下って舗装道路を横切ります。


ヤマボウシ、ツツジ、ムシカリ、フジ、花が咲き、ハルゼミの合唱、虫達の羽音
新緑の中を歩くのは楽しい♪


「マムシ草」何処の山でも見かけます。葉の鞘(さや)の模様がマムシの模様に似ているから、や花の様子がマムシが鎌首をもたげている様子に似ているから等が名前の由来、中をのぞくと棒状のものがありこれは花穂だそうです。


「三ッ峰山」へは分岐からピストン、笹尾根を少し下って樹林帯に入るとそこは「ヤマツツジ」のパラダイス、残念ながらピークは過ぎてました。


松の沢峠へ下ります。ここまでに会ったのは二人組みパーティー2組だけでした。
「摩墨峠(するすとうげ)」を経て「相馬山」へ


ツツジのトンネルを歩いていくと、お花と同じ色の鳥居


ここからは、鎖場、梯子がある急登


最初の鳥居から20分 鳥居が見えて着いたと思ったら、昼食を食べていたおじさんから
「山頂はその先だよ!」と言われ、ツツジののトンネルを過ぎたら視界が開けて山頂でした。


山頂には石仏が並び、奥社?がありました。


遠望は霞んでますがよい眺めです。


山頂は日陰がないので、直ぐ下の鳥居まで下って、マイズルソウが広がる木下でランチ
手r作りお稲荷さんと、フリーズドライのお味噌汁、ガリも手作りよ^^


「相馬山」では30人くらいのハイカーとすれ違いました。
下山して、ロープーワイで榛名富士に登りました。
さっき登った「相馬山」が目の前、低山ながら縦走した山を眺めるのは感無量です。


ロープーウェイ乗り場前のお店で、ピンバッチを買ってソフトクリームを食べ
「ばんどうの湯」で汗を流し、道の駅で野菜を買って帰路につきました。


歩行距離:約10km 行動時間:5時間46分 高低差:329m 

夏山に向けて週一登山、鍛えておかねばねぇ~



2016年6月3日金曜日

九州旅行 その2 宮崎県

故郷の海は綺麗だった!



2016年5月26~29日 2年振りの里帰り 

父(85歳)は胆嚢摘出術を受け退院して1週間程、なんだか急にお爺ちゃんになった。
食卓の蓋付き容器に入れられた胆石は直径1cmほどのものが2~3個と小さい石がゴロゴロ
色は真っ黒、持病の病気検査で見つかり手術となりました。

母は相変らずじっとしておらず、あれやこれやと家事をこなしてます。
痩せて背中が丸くなった以外は口も達者で安心しました。

28日 午前中、カメラ持って近所を散歩しながらお墓参り



両親の定期通院の日、午後から私が父の車を運転して連れていきました。
診察を受けている間、1時間程海を見に行ってきました。


親戚にご挨拶に行ったり、高校の同級生と食事してカラオケしたり、母と温泉に行ったり
父に父の日のプレゼント(杖)を一緒に買いに行ったり、両親の老眼鏡を買いに「眼鏡市場」に行ったり、たまにしか会えないので親孝行のようなことをして過ごしました。

庭木や裏山の木々の生長が月日を感じます。東京住まいの方が長くなりました。
子供の頃遊んだあの場所、木登りした木、広く感じた道、懐かしい
こんもり こんもり茂った木々を眺めながら、郷愁に浸りました。
こうして帰ってこれるのは父母が元気なうち、長生きしてほしいわ


30日 霧島 高千穂の峰&蛍狩り

6:13 日向市駅出発し霧島神宮駅へ 2時間20分特急列車の旅 
駅には宮崎の山友さん(霧島ネイチャークラブ会長)Hさんがお迎えに来てくれました。

Hさんに霧島を案内していただくのは3度目、今回は霧島の峰です。
高千穂河原に行く途中は霧の中、ちょっと心配になりましたが、登山口に着くと素晴らしい青空になりました。
霧島神社主催「坂本竜馬とお良さん150年記念登山ツアー」(150人)と鉢合わせ。
地元ラジオ・テレビに出演し登山ガイドをするHさんは有名人、あちこちから声がかかります。
プライベートだから静かに歩きたいと言いながら「そうは問屋が卸さない!」 状態でした。流石!

最初は樹林帯歩き、コガクウツギの花がいっぱい咲いていました。


やがて火山礫が堆積した登山道となり景色は一変します。


標高1360mから見る雲海 



2011年新燃岳噴火により降り積もった火山礫は、ミヤマキリシマにも多大な影響をもたらしました。地元の方々による登山道整備ボランティアや降雨によって、やっともとの登山路が現れてきたそうです。


雲海の向こうに桜島が見えた!


お釜を左回りに馬の背を進むと「背門丘」鳥居があります。


標高223m登れば山頂、天孫降臨伝説「天の逆鉾」とご対面


「ミヤマキリシマ」満開でございます。


そんじゃ 新燃岳に向かって飛んじゃお~方向が違うって!



下山して、Hさん行きつけのカフェーでアイスコーヒーをいただきました。
テラスからの眺めが抜群です。


高千穂の峰への別ルート(九州自然歩道)登山口にある、霧島東神社を訪れました。


小林駅前のビジネスホテルにチェックインし、6:30に駅前「レストランふじや」で待ち合わせし夕食を食べました。CM撮影で訪れた高倉健さんが好んで食べたという「タンシチュー」を頂きました。
店内には健さんの写真、直筆のサインが飾られていました。礼儀正しく気配りの人だったそうです。

九州旅行の最後のイベントは、小林市出の山「ホタル恋まつり」


天然ホタルの乱舞が見たくて滞在を一日伸ばしたのです。Hさんのご親戚のお家に車を停めさせていただき歩くこと数分、警備員が立ち誘導していました。一方通行の入口から入ると、沢と沢沿いの木と竹にホタルが舞い上がっているました。ホタルは見下ろして見るものだと思っていましたので、高く舞い上がっている無数の黄色い光がとてもステキでした。昔はホタルの光で山が動いて見えた程沢山いたのだそうです。

写真はありません、ホタル撮影のお勉強してなかったので撮れませんでした。><
蛍の光は写真でなく肉眼で見て、脳裏に焼き付けるのが一番いいと思います。

蛍で始まり蛍で終わった九州の旅 なかなかよい旅でした。

31日 小林駅から吉都線(きっどせん)鈍行列車に乗り宮崎空港へ向かい、東京へ戻りました。


旅の終わりはいつも複雑、終わってしまう寂しさと家に帰って自分のベッドで寝られる安堵感
時々長期間遠出して、知らない世界を見て回りたい、これからも・・・

この旅でお世話になった山友 KZさん Hさん ありがとうございました。
またいつの日か、お世話になりに伺いますね^^


九州旅行 その1 大分・熊本編

九重の「ミヤマキリシマ」は二部咲き!



2016年5月23日~31日 失効してしまうマイルの利用と帰郷を兼ねて九州旅行

5月23日(月)羽田空港から大分空港へ
宮崎便は殆ど太平洋の上、大分便は陸上を飛ぶので窓外が違い面白かった。


大分空港に迎えに来てくれた山友KZさんの車で、ミヤマキリシマの名所「平治岳」へ向います。
当初は九重縦走予定でしたが天気予報は二日目が雨だったので、前日に日帰りに変更しました。

高速から見えた「由布岳」東面,、地震によって崩壊が進んだそうです。
大分には「白水鉱泉」という天然炭酸水が湧き出ている所があります。昔は無料だったそうですが、今はお持ち帰りは有料です。なので見るだけにして「あげじゅう湧水」無料の湧き水をプラティパスに汲みました。 



ルートは大分在住のKZさんにお任せ、10:15「男池登山口」清掃協力金100円払って入山
「男池(おいけ)」は日本名水百選、男池から流れ出る小川を渡り、苔生した広葉樹の原生林を歩きます。


新緑からこぼれ落ちる光が、柔らかく、優しく、私を包み込みます。


「かくし水」でちょっと休憩、こんなに気持ちい森をサクッと通過してはもったいない
見上げると、大きな木の枝にシダが生えていました。


「ソババッケ」に下りずに山頂に続く尾根を登ります。このルートはKZさんが開拓したバリルートで地図には無いけれど、多くの人が利用していて赤テープがあり、踏み跡もしっかりしています。
急登ではあるが尾根を外さなければ迷うことは無く、いいルートだと思いました。
新しいルートには開拓者の名前が付いてもいいはず、そこで「風新道」と私が命名(笑)


12:45「平治岳」山頂 10人程が休んでいました。「ミヤマキリシマ」まだ2~3部咲き!


山頂から「由布岳」方面の景色 


ランチして「大戸越(うとんごし)」へ下ります。


南面に広がる木には蕾が沢山付いていました。茶色く見えるのが蕾です。
これが咲いて山は桃色に染まるのを想像したら満開の時にもう一度来たくなりました。


「大戸越」から樹林帯の沢を下り「ソババッケ」に下ります。

「ソババッケ」の由来を調べてみると、ソバ()=山の切り立った険しいところ、崖、絶壁等
バッケ=崖、急斜面  すなわち急斜面に囲まれた窪地という意味らしい


森林浴を楽しみながら「男池」へ向います。
石を抱き込んだ巨木にパワーをもらい、懇々と湧き出る「男池」で美味しい水を飲みました。


15:50 登山口へ戻りました。 歩行距離:8.0km 行動時間:5:45 高低差:802m


駐車場横の売店でソフトクリームを購入、さっぱりして美味しい!
赤牛のミルクは脂肪分が少なくさっぱりしているらしい、なるほど

今宵の宿「由布院カントリーロードユースホステル」に送ってもいました。
由布院は今回の地震で被害を受けた地域、大分市内からの道は所々修復工事をしていたり、民家屋根瓦の修理をしていたりしてはいますが、今は平常と変わらない状態です。しかし観光客はまばら、繁華街は静かなものでした。風評により客足が遠のいているとニュースで聞き、ここに泊まることを決めたのです。

高台にあるこのユースは若いご夫婦が経営する、小ジャレた奇麗な宿
談話室から由布院の町が見下ろせ、雲海が見えることもあるそうです。


宿のご主人が夕食後にナイトウォークと称したイベントで「蛍鑑賞」に連れ出してくれました。
天然蛍の群生を見たのは初めて、それも住宅の側を流れる川に蛍が乱舞しているのです。感激

16日から長期滞在してる大阪のご夫婦がいらして、奥様はビーズや織物等を手作りするのが好きで趣味が同じだったこともあり話が合い、翌早朝の散歩にご一緒させてもらいました。
すてきなご夫婦でした。

24日、KZさんが迎えに来てくれ宿を出る時、宿のご主人と奥様と大阪のご夫婦が「カントリーロード」を唄ってお見送りしてくださいました。嬉しかったわ。
由布院に来たらまたここに泊まろう^^




24日、お天気予報と相談し「由布岳」に偵察へ行くことにしました。
KZさんは年間4~50回は登ってる「由布岳」の地震の影響を確認したく、私はこの計画をたてた時から「由布岳」に登りたかったので、KZさんの意見に賛成しました。

入山禁止になってますが、正面登山口からマタエまでは問題なく登れ、東登山口からは崩壊していて無理だと宿のご主人から情報を聞いていたので、正面登山口から登りました。


正面登山口から「マタエ」までは樹林帯歩きなので、地震の影響は全くありませんでした。
標高1200mあたりのミヤマキリシマが満開、由布岳のミヤマキリシマは一株が大きく見ごたえがあります。密度は平治岳にはかないませんけれど!


マタエから見た西峰東斜面 2箇所大きく崩れていました。


マタエで昼食を食べて、私達はどうしたでしょう・・・・
行ける所まで登ってみようと慎重に西岳にのぼりました。しかしそれから先は登山道に亀裂が入り、危険極まりない状態、おそらく、この先「お鉢巡り」はすることができないでしょう!



下山後、風評被害を受けている「黒川温泉」へ向かいました。
「黒川温泉いこい旅館」直前割1人一部屋1泊12000円(税別)ネット見つけて予約しておきました。
黒川温泉でこの値段はお得、お風呂が13種類あるのが売りの旅館です。


地ビールで熊本の復興を祈って乾杯!左下写真は朝食、他は夕食です。




26日小雨 道の駅阿蘇~阿蘇神社~大観峰~九重夢大吊橋~別府

ニュースで見た映像を目の当たりにして言葉が出ません、神社仏閣にお賽銭をあげない主義ですが、今回ばかりは多めのお賽銭をあげて復興を祈りました。


「大観峰」に寄り道、霧で景色はなかったけれど、霧の奥に広がる阿蘇のカルデラを想像してみました。ここも、また来なきゃね!



山を下るとだんだん霧が晴れ「九重 夢大吊橋」着く頃には雨が上りました。
2006.10.30.開通 長さ390m、高さ173m、完成当時、人専用としては日本一
紅葉の頃が素晴らしいと聞くと、紅葉好きとしては来て見たくなりました。


たっぷり観光して「別府ゲストハウス」へ送ってもらいました。
KZさん、ご案内ありがとうございました。お陰様でとてもよい旅になりました。


私は宮崎育ち、大分とは隣県ながら別府温泉に入ったことがありませんでした。
幼い頃、「別府楽天地」に日帰りで遊びに行った記憶だけ!電車に飛び乗り実家に帰ることも可能でしたが、別府観光を計画に入れました!
 
格安のゲストハウス、ドミトリー1泊素泊まり1700円に泊まり、共同温泉巡りを夜2件、朝1件
夕飯は郷土料理居酒屋で生ビール飲みながら「とりてん」を食べ、女将さんとお話しました。


26日小雨 市営温泉で朝風呂に入り、チェックアウト
駅のコインロッカーに荷物を入れて、バスに乗って地獄巡りへ向いました。


8箇所巡って2100円 同じ別府でありながら様々な源泉がありとても興味深いものでした。


バスで別府駅近くのバス停で降り、竹細工ワークショップを巡りました。
大分は竹細工で有名、竹を使った笊や篭や食器等実用的な物から芸術的な物まであり、見ているだけでも楽しくなりました。丁寧な仕事が作品に表れとてもステキ、お土産に竹のスプーンと笊を購入しました。

駅に戻りチケットを購入し、ロッテリアでハンバーガーを食べて時間を潰し電車に乗って実家へ帰りました。

大分県温泉は勿論ですが、山も観光もまだまだ沢山いいところがあるのでまた旅したくなりました。

まだまだ旅は続きます。^^