2016年9月26日月曜日

悲しみはなお深く

息子友理が自殺して3ヶ月が過ぎた。

時とともに心が楽になると思ったが、まったく逆だった。

8月7日納骨し、仏壇に分骨壷と遺影を並べた。
相続に伴う事務的な手続き、カード停止などが殆ど終わり、訪ねてくる人もいなくなった。
ひとり家にいて、泣いてばかりいる日々

「どうして友理は死ななければならなかったの!」繰り返す心の叫び
写真の友理は何も教えてはくれない

何かをしていなくては気が違いそうになる。
そんな私を猫3匹と植物が癒してくれた。
猫と植物の世話をしている間だけ悲しみから開放された。ほんの少しの間だけれど・・・・


9月14日 首都高速株式会社が依頼した第三者弁護士(顧問弁護士以外)大江橋法律事務所山口弁護士が調査結果を報告に来た。
その結果は「パワハラの事実は無かった」だった。

そのような結果がもたらせられるのは予想はしていた。
第三者とはいえ会社よりなのだから期待できない、でも心の奥にほんの少しだけ真実を話してくれる人がいるかもと期待していた。私の甘い希望は木っ端微塵に破壊された。
目の前に突きつけられた結果は、想像以上に衝撃を受けた。

「誰も本当のことを話してはくれない、会社の圧力に真実は葬られた!」

日本社会のパワハラと会社の対応の現実を突きけられた。
平社員のパワハラによる自殺を無かったものとして消し去る会社に怒りと苛立ちと悲しみが湧き
友理のこと、さしては私の生き方まで否定された気がした。

それから数日私は寝込んだ。
日中は何もすることができず食欲も無く、見もしないテレビをつけてソファーに横になったら起き上がることができず、ただ涙が次から次へと溢れ止まらなかった。
まるで深海に沈んでいくように周りが暗くなり、心奥に痛みが広がっていった。

生きているのがイヤになった。友理のそばに逝きたいと何度も思った。
死んで友理の所へ行ってじっくり話がしたいと思った。

友理が苦しんでいたことを知ることさえできないなんて、酷すぎる
彼の苦しみに気づいてあげられなった母親の償いは、その苦しみを知ることでしかないのに
誰も真実を私に教えてくれない、気が狂いそうだった。

でも死ぬことはできない、次男をひとりぼっちにすることなんてできないから
もし次男がいなかったら、私はとうに死んでしたことでしょう
こんな辛く悲しい思いを一生背負って生きていかなければならないなんて・・・・
私はこれから先、どうやって生きていけばよいのでしょう
私は自分の行き方を見失ってしまった。


友人が心のこもった励ましのお手紙をくださいました。
その中に、このような言葉を知りましたと記してくれた文章を紹介します。

「親を亡くした人は過去を亡くし、子を亡くした人は未来を亡くし、配偶者を亡くした人は今を亡くす。」


この言葉は私の気持ちそのものを表しています。
8年前に夫を亡くし今を亡くし、今息子を亡くし未来の半分を亡くしたのです。

私は何か悪いことしたのでしょうか、何故神様は私に最悪の苦しみを与えたのでしょうか


生きていくのが辛い・・・・


でも 生きなくてはならない・・・・


2016年9月12日月曜日

気がつかなかった




友理の顔は小さい頃から夫にとても似ていた。

誰もが「お父さん似ね」と口を揃えてそう言った。

夫がたまに保育園のお迎えに行くと「友理君のお父さんですね」と夫の顔を見ただけで先生やお母さん達にに言われるくらいそっくりだった。

大人になっても、たまに会う親戚に「お父さんに良く似てるわね」と言われていた。


エンバーミング処理し家に帰って来て横たわっている友理の顔
夫にそっくりとばかり思っていたのに、眼鏡を外した顔の鼻の形が私そっくりだった。
それまで全く気がつかなかった。

中学からの親友が名古屋から駆けつけてくれ友理の顔を見て
「鼻の形があなたそっくりじゃない」と一緒に泣いてくれた。

夫似の顔とばかり思っていたのに、鼻は私似だった。
友理が死んで気がつくなんて、私は彼のどこを見てたんだろう・・・・



友理の写真を額に入れて飾った。



写真を見れば悲しくなるのに、泣いてしまうのに、飾らずにはいられなかった。

友理を近くに感じていたいから・・・・・


2016年9月7日水曜日

帰っておいで

いつ帰ってきてもいいんだよ




普段履いていた友理の靴
いつでも使えるように、玄関においている。
もう履くことがない靴、でも下駄箱に仕舞えない。


夕方、台所でご飯の支度をしていると
「ただいま」と玄関のドアを開け帰って来る気がする。
振り向いても誰もいない、涙が頬をつたう・・・

2ヵ月半が過ぎたのに
私はまだ、友理の死を受け止めることができない


帰っておいでよ 友理


2016年9月3日土曜日

使えなくなった包丁

お気に入りの鋼の包丁 





去年から、友理はキャンプを楽しむようになった。
キャンプ道具を次々に買い揃え、キャンプを楽しむための準備を進めていた。
キャンプ飯にも凝り「燻製」や「パエリア」を自宅で試作していた。

凝り性の友理

キャンプ用ナイフを購入し自分でナイフを研ぐことを覚えた。
砥石や研ぐためのグッズを買って、自分のナイフを研ぎ、私の包丁も研いでくれた。



左手で紙を持ち、右手に持った研いだ包丁でその紙を切る。
「凄いでしょう、めちゃ切れるようになったよ!」って自慢げだった。

普段の包丁の手入れにと皮砥まで自作し「これ、お母さんにあげるよ」とくれた。
まだ使い方ちゃんと聞いてないのに・・・



友理が研いでくれた包丁、使っていたら切れ味が落ちてきた。



これ以上切れなくなるのがイヤ・・・・

友理のひとつの思い出が消えるようで・・・・


2016年8月28日日曜日

時が止まった

2016年6月20日 最愛の息子「友理」が27歳で死んだ。


「友理の死」を知ったのは遠い海外の地だった。
エクアドル旅行最後の朝、ホテルでインターネットを繋ぎLINEを見た。
次男から「お兄ちゃんが事故で亡くなった」の文字
胸をナイフでえぐられるような痛みと共に、涙がとめどなく溢れ出た。
事態が分からないまま4時間が過ぎた。やっと電話が通じ次男と話をすると、事故ではないらしいと言う、いったい友理に何が起こったというのか、はっきりした事は何一つ分からなかった。
信じられない、信じたくない、ただ一刻も早く家に飛んで帰りたかった。
電話の向こうの次男の鳴き声に、こんな時に側にいてあげられない悔しさと悲しみと辛さと、この世に友理がいなくなったという悲しみでいっぱいだった。

フライトは23時40分 アトランタ乗換えで日本到着は22日15時10分
時間の流れはいつもの何十倍も遅く、食事は喉を通らず、じっとしているのが辛かった。
教会に行き手を合わせ思いきり泣いた。そして街や公園を当てもなく歩き回り、スーパーやお土産屋を見て周り気持ちを紛らわすことしかできなかった。

飛行機では眠れず、映画を何本も見た。しかし何を見たのか思い出せない・・・
友理が大きなドッキリを仕掛けたならいいのに、「嘘だよ~!」とひょうきんな顔で迎えてくれたらいいのに、この不幸な出来事が夢だったらいいのに、そんなことばかり願っていた。

成田空港に着くと家に帰るのが怖かった。
友理の死を受け止めたくなかった。

次男に電話し原因を聞くが、帰ってから話すと言った。それは彼の優しさだった。
駅に迎えに来てくれた妹の顔を見たとたんに、こらえていた涙が嗚咽と共に出てきた。

友理は検死され、エンバーミング処置をして肉体だけが家に帰ってきていた。
傷一つ無い綺麗な顔、両手で冷たくなった頬を包み、頭を撫で、肩をゆすって
「何で死んだの!お母さん帰って来たよ、お土産も買ってきたよ、生き返ってよ!」泣き崩れた。


死体検案書「頚椎損傷 即死 首都高速道路株式会社東京東局11階屋上から飛び降りたもの」
嘘だ、友理が自殺なんて、信じられなかった。
来月にはキャンプに行くのを楽しみにしていたのに、あんなに明るく、優しい子が何で!
何を悩んでいたの、悩みを打ち明けてくれなかったの、どうしてお母さんがいない時に、お母さんがいれば死ぬことを思い留まっていたかもしれない、貴方の悩みに気づいてあげられなくてゴメンね、後悔と無念の気持ちばかり出てきて、涙が止まらなかった。


23日夜 箱崎にある東京東局へ友理の魂を迎えに行った。
友理が命を落とした場所にはチョークで倒れた状態が書かれていた。そこに花とレッドブルを供え手を合わせた。「あの角から飛び降りたのね」私は左手を空に伸ばして友理の気持ちを分かろうと試みた。脳裏に友理が落ちてくる映像が見えた気がした。

屋上に案内してもらい、友理が飛び降りただろう屋上の角に柵を超えて立ってみた。
次男が止めたが「大丈夫、お母さんは飛び降りないから、心配なら洋服掴んでてて、そこに立てば友理の気持ちが分かるかもしれない」
その場所は、箱崎インターチェンジと大きなマンションの隙間で恐怖感が少ない微妙な高さ、飛び降りてもちゃんと着地できそうな距離感と雰囲気があった。

その後、局長、課長、部長、渉外担当課長から当日の話を聞いた。
友理は体調を崩して1週間会社を休んでいて、翌月曜日(20日)朝のミーティングの後、姿が見えなくなり、外に誰か倒れていると連絡があり、それが友理だった。というものだった。

体調を崩すほどのストレスがあり、朝のミーティングで何があったのか知ることができなかった。
同僚4人は体調を崩していて今は話できる状態ではなく話を聞くことを拒まれた。
同僚が体調を崩すほどのショックを受けたということは、ミーティングで決定的な何かがあったとしか思えない、納得できないまま帰路についた。
 

御通夜までリビングに布団を敷いて、親子三人で寝た。あまりうまく眠れなかった。
友理が着ていた服が気に入らなくて、ブルーのシャツにお着替えを頼んだ。エンバーミングの会社の女性を手伝い着がえさせた。すると左腕に黒い大きな傷跡があった。
履いていた革靴も左靴の踵から外側にキズが入り、右靴踵よりの内側が切れていた。
友理が落ちて左足から地面に叩きつけられる映像が浮かび涙が流れた。
くすんできた顔色をドウランで綺麗にしてもらった。
インディゴブルーのシャツがとても似合っている。

24日から愛犬「めんま」が食べ物を口にしなくなりお通夜の日に友理が連れて行ってしまった。
我家から二つの命の火が消えた。

私は、葬儀をするにあたって迷いがあった。友理の自殺を表に出していいものかどうか、最初は事故でと考えた。が、それは違う友理は悪くない、隠す必要などない、辛いけど真実を伝えなくては、1人でも多くの友理の友達におくってもらいたい。

28日御通夜 上司のパワハラ情報が手に入った。その人は平気な顔して式に来ていた。
宮田社長が責任を持って調査しますと約束をしてくれた。
愛する息子を自殺で亡くした母親の気持ちは分からないでしょう、息子を返して欲しいと訴えた。


平日の葬儀だったが、地元の友達、中高大学の友達、インターネットで知り合ったゲーム友達、沢山の友達に参列していただいた。
沢山友達ができるように名前に「友」の字をいれ「友理」と命名した。
名前通り沢山友達ができた。
なのに誰にも悩みを打ち明けることなく、ひとりで苦しんでいたんだね・・・・
優しく家族思いで、負けず嫌いで、強がりの友理、ひとりで解決しようと頑張ったんだね

御通夜が終わり、斎場には私と次男、私の妹と姪っ子だけになった。
23時頃、私と妹が友理の前にいると突然音楽が流れだした。
それは友理が好きな「押尾コータロー」のギターだけの曲を葬儀のために選んで作ったCDだった。
妹はびっくりしていたけれど、私は友理のいたずらだと思った。
側にいることを知らせたかったのでしょう、不思議なことは起こるものです。


29日告別式が終わり、友理は白い骨壷の中に骨だけになってしまった。
その夜、身体も心もボロボロの私は10日振りに深く眠った。

朝早く目が覚める日々、でも友理はいない目覚めた瞬間から涙が溢れる。
遺影にお線香をあげ手を合わせる。掃除洗濯し友理の部屋を少しずつ片付ける毎日
ベランダの植物の手入れ、押入れの片付け等、何かをしていなくては、心が潰れそうになる。

悲しみは波のように小さく大きく、そして時に嵐のように私を襲ってきた。
来月のファミリーキャンプ楽しみにしてたじゃない、友理が頼んだキャンプ用具がアマゾンから届いたんだよ。死ぬはずじゃなかったんだよね、あの日の朝、死に追い詰めた何かがあったんだよね、何があったの、お母さんに教えて、遺影に話しかけた。

時が戻せるなら6月4日一緒に行った榛名山トレッキングまで戻りたい。
私は「4月から移動になった部署はどうなの?」と聞いた。
友理は「上司が厳しい人なんだ、でも僕のことを買ってくれてるからだと思う」と言った。
私が「それじゃ、ストレス溜まるね」と言うと「そうなんだよね!」私に心配かけまいと明るく答えた。あの時もっと突っ込んで話すればよかった。「辛かったら会社辞めていいだよ、ほんとの気持ちを話してごらん、我慢することないんだよ、お母さんは友理のことが何より大切なんだよ」と・・・・

8年前夫が癌で他界した時、友理は大学2年生だった。
彼は何かを決めたように逞しく頼もしくなった。
奨学金で大学院へ進み首都高速株式会社に入社しりっぱな社会人になった。
入社4年目4月部署が移動になって上司からパワハラが始まったんだ。
それに全然気づけなかったことが母親として悔しくてしかたない

私は8年間で愛する人を二人も亡くした。
夫が亡くなった後、二人の息子に支えられて悲しみを乗り越えることができた。
今、大きな支えの一つが無くなってしまい、どうやって生きていけばよいのか分からなくなった。

全ての景色が色あせ、私の時が止まった。



2016年6月7日火曜日

命日

夫の大好物



8年前の6月7日、夫は天に召されました。
夫が最後に口にした食べ物、さくらんぼを仏壇にあげました。
元気になったら「さくらんぼ狩り」に行こうねって言ったのに・・・


お墓に参ってお話してきました。
「子供達はすっかり社会人らしくなりました。心配要りませんよ!」



今夜は思い出にひたり、夫を忍んで涙します。


2016年6月5日日曜日

榛名山 息子と縦走

ツツジのトンネル間に合った!



2016年6月4日(土) 榛名山 天目山~三ッ峰山~相馬山+榛名富士

3日息子が会社から帰ってくるなり、明日は山に行くというそぶり
NON:「一緒に行ってあげようか」 息子:「いいよ、行こう!」
5~6時間であまりきつくない山ってことで「榛名山」に決定

5:40 「らら号」に乗り込み出発、珍しく息子が運転してくれました。^^
8:40 榛名ビジターセンター駐車場に到着 


8:50 榛名湖の淵を10分程歩いて「関東ふれあいの道」へ


整備された登山路は階段が多くて疲れるわ~登山口から40分で天目山
次に目指すは写真左下「三ッ峰山」 


いったん下って舗装道路を横切ります。


ヤマボウシ、ツツジ、ムシカリ、フジ、花が咲き、ハルゼミの合唱、虫達の羽音
新緑の中を歩くのは楽しい♪


「マムシ草」何処の山でも見かけます。葉の鞘(さや)の模様がマムシの模様に似ているから、や花の様子がマムシが鎌首をもたげている様子に似ているから等が名前の由来、中をのぞくと棒状のものがありこれは花穂だそうです。


「三ッ峰山」へは分岐からピストン、笹尾根を少し下って樹林帯に入るとそこは「ヤマツツジ」のパラダイス、残念ながらピークは過ぎてました。


松の沢峠へ下ります。ここまでに会ったのは二人組みパーティー2組だけでした。
「摩墨峠(するすとうげ)」を経て「相馬山」へ


ツツジのトンネルを歩いていくと、お花と同じ色の鳥居


ここからは、鎖場、梯子がある急登


最初の鳥居から20分 鳥居が見えて着いたと思ったら、昼食を食べていたおじさんから
「山頂はその先だよ!」と言われ、ツツジののトンネルを過ぎたら視界が開けて山頂でした。


山頂には石仏が並び、奥社?がありました。


遠望は霞んでますがよい眺めです。


山頂は日陰がないので、直ぐ下の鳥居まで下って、マイズルソウが広がる木下でランチ
手r作りお稲荷さんと、フリーズドライのお味噌汁、ガリも手作りよ^^


「相馬山」では30人くらいのハイカーとすれ違いました。
下山して、ロープーワイで榛名富士に登りました。
さっき登った「相馬山」が目の前、低山ながら縦走した山を眺めるのは感無量です。


ロープーウェイ乗り場前のお店で、ピンバッチを買ってソフトクリームを食べ
「ばんどうの湯」で汗を流し、道の駅で野菜を買って帰路につきました。


歩行距離:約10km 行動時間:5時間46分 高低差:329m 

夏山に向けて週一登山、鍛えておかねばねぇ~